新春の桜を観賞・目黒川〜呑川を優雅に走る

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2009-04-08


 目黒川「中目黒4丁目」の桜

目黒川は 世田谷区から 目黒区 品川区 を通って東京湾に注ぐ延長8キロの川。
大橋から目黒駅辺りまで約3.8キロの川沿い に約830本のソメイヨシノが植えられています
若いカップルには目黒川を散策後、西郷山公園(50本近い桜があり)に行き、
代官山でショッピングとカフェで食事コース
小さいお子様連れの家族には中目黒公園にはさくらのテラスというお花見には最高の場所があり、
芝生の広場もあります

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目黒雅叙園・・・・資料


目黒雅叙園正面玄関にある、お七の井戸
現在は、工事中でみることができませんが、、私たちは係の方の好意により見ることが
できました、ここで見るのは最後かと思います。
お七の井戸は、こうして、目黒雅叙園の正面玄関にありました。
八百屋お七の火事の張本人、お七が恋こがれた寺小姓は吉三という説があります。
吉三は、お七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め、明王院に入り、
目黒不動と浅草観音の間、往復十里に道を念仏を唱えつつ
隔夜1万日の行を成し遂げた。と
明王院とは、目黒雅叙園の敷地に明治13年まであったお寺です。

お七井戸やゆかりの碑ほ新築工事のため横浜・・・・?・・・に移転するとのことです。

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旧東海道の品川宿「まちづくり協議会」

品川といえば、新幹線の駅ができ、いつのまにか高層ビルが建ち並ぶ町となってしまった。
だが、ここは日本橋を起点とする東海道の1つ目の宿場があったところだ。
旧街道の面影が残る道は、京浜急行の北品川駅の海側あたりを起点にして、
鮫洲の先まで延々と続いている。 ここにきて、旧東海道を散歩する人が増え、
地元でも町おこしの材料としているらしく、あちこちの案内の札が立てられるようになった。


 立会川・坂本龍馬

なぜ京急立会川駅に坂本龍馬の立像が。
猫の額ほどの駅前広場。
違法駐輪の自転車に囲まれて、坂本龍馬。

品川区には土佐藩の下屋敷があったらしい。
また、土佐藩では立会川の河口に、黒船対策として砲台を築いたとか。

そんなこんなで、ゆかりのある土佐藩と品川区。
2004年秋に高知市から寄贈されたらしい。

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鈴ヶ森刑場遺跡


■この「鈴が森刑場跡」は、その名称のとおり処刑場の跡地となります。
では何時の処刑場なのかというと、慶安4年(1651年)に開設されたとの事で、廃止されたのが明治4年(1871年)ですから、220年もの間、ここで罪人の処刑が行なわれていたことになります。

処刑者数も、年数に比例してか非常に多く、その数は10万人にものぼるといいますから、単純にその人数を想像しただけでも恐ろしくなってきます。

また、品川区の郷土史資料によると、処刑された者の何と4割は冤罪であったとのこと。因みに、私が住む町の人口が約40万人ですので、その4分の1もの人が処刑されたということになり、その中の4万人の方が“冤罪”であったと思うと…何とも恐ろしくも切なくなってきます。

その様な事実を踏まえた上で訪れた「鈴が森刑場跡」は、夏の日差しに照らされ美しく輝く現地の緑や、今の“時”が平凡に、平和に流行く周辺の景色とは裏腹に、独得の悲しさや嘆きが感じ取れたような…そんな気がしました。


 鈴木旗染店

その昔この呑川・蒲田5丁目界隈は旗染店が多く
それはかなり栄えていたそうです。

 
池上本門寺・・・・力道山碑
とその周辺

 
 
池上本門寺
日本庭園「松濤園(しょうとうえん)」

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、
61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
 日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
 長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。


松濤園」は自然の窪地に作られ、客殿から見下ろすことができるのが特徴だ。
豊富な地下水からの湧き水による池泉回遊式庭園で、
京都・桂離宮や茶道で有名な小堀遠州の作庭と伝えられる。
江戸時代、各藩が競って作庭するようになる大名庭園の祖形となった。
大名庭園を除くと、都内の由緒ある庭園としては最大級で、約4000坪の広さを誇る。
大きな池に洲浜、織部井戸、船着き場、鶴島、亀島、魚見岩、太鼓橋などを配し
、滝口には渓流と渓谷、沢渡り、滝見橋、松濤の滝などが造られている。



 東急池上線・久ヶ原駅付近

開通時の駅名は『末広』。昭和3年に『東調布』、昭和11年に『久ケ原』と改称された後、
昭和41年に現在の『久が原』となる。
『久ケ原』は、燃料採取地を意味する久木(クキ)から転じたという説があるがさだかではない。


 



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