烏山川緑道〜目黒川〜天王洲〜羽田国際空港を何となく

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   烏山川緑道〜目黒川〜天王洲〜羽田国際空港を何となく

2007-03-26 
                                   コース
自宅8:38〜〜徳富蘆花恒春園9:02〜〜烏山川緑道9:25〜〜烏山川緑道・世田谷宮坂2丁目9:30〜〜松蔭神社付近9:40〜〜
若林・環七9:51〜〜西太子堂駅付近9:54〜〜池尻3丁目10:02〜〜首都高3号線・池尻大橋「ここより目黒川」10:11〜〜

品川区・御成橋公園10:47〜〜荏原神社11:02〜アイル橋11:14〜〜天王洲アイル・JAR本社「京浜運河」11:16〜〜
産業道路「呑川」12:19〜〜穴守稲荷神社12:33〜〜大鳥居「穴守稲荷神社〜旧羽田穴守町の参道」12:40〜〜
羽田空港2丁目「空港敷地内」13:18〜〜
東京国際空港13:38〜〜多摩川・大師橋14:10〜〜多摩川大橋付近14:42〜〜
丸子橋「ここより丸子川」15:13〜〜丸子川・田園調布15:21〜〜等々力渓谷15:45〜〜世田谷野毛・善養寺16:00〜〜岡本静嘉堂緑地〜〜
岡本公園民家園〜〜仙川・水神橋〜〜大蔵・永安寺〜〜六郷用水跡〜〜次大夫堀公園「民家園」〜〜自宅17:30  走行距離・・74km

 

徳富蘆花恒春園 

「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの名作で知られる明治・大正期の文豪、徳富蘆花(健次郎)と愛子夫人が、
後半生を過ごした住まいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸地部分とその周辺を買収してつくられました。

見どころ】
 蘆花が晴耕雨読の田園生活を送った恒春園区域内では執筆活動等往時の生活の様子を伺い知ることができます。
 花の丘区域では公園友の会、地域の小学生達と協働して育てあげた季節の花が咲き揃います。
(蘆花が好んで育てた花々も園内に彩りを添えます)


烏山川緑道 ・・・地図

烏山川緑道は延長約7キロあり、粕谷にある千歳温水プールあたりから、三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いています。
途中・宮坂一丁目には万葉の小径があり、ここは、万葉集に詠まれた草花が植えられています。
この緑道に沿って、豪徳寺、世田谷城址公園、松陰神社、太子堂円泉寺など歴史にゆかりのある神社仏閣があります。



松蔭神社付近

世田谷区若林4-35-1

松蔭神社は、安政の大獄で安政6年10月27日小伝馬町獄中にて刑死した遺骸を、
南千住回向院から高杉晋作、伊藤博文、等によって等地に埋葬し地で、
明治15年11月松蔭門下の人々が墓畔に社を築いてたの始まる。


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東急・世田谷線「若林・環七付近」・・・・地図


西太子堂駅付近
 

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首都高3号線・池尻大橋「ここより目黒川と緑道」

「北沢川緑道」と「烏山川緑道」の2つの緑道が合流する地点から、遊歩道は「目黒川緑道」と名前が変わり、
2つの緑道を流れる「せせらぎ」もここで合流し、「目黒川緑道」のせせらぎとして流下していきます。

桜の名所ですがまだ蕾のだんかいでした。

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荏原神社

和銅二年(709年)九月九日創建。古くは品川大明神・天王社と称し品川宿の総鎮守であった。
東京遷都の際、内侍所となり、明治天皇は当社に四度、行幸されている。
また、源氏・北条・徳川の崇敬も篤かった。六月の天王祭海中渡御は、全国的に有名である。

2月ごろに咲く「カンヒザクラ」が有名です。



天王洲アイル橋

天王洲アイルの南側にある、かなり立派な歩行者用の橋です。

ここからJALのマークがみえます。

 
 
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天王洲アイル・JARビル「京浜運河〜
京浜運河緑道公園」

天王洲アイルは品川の臨海部に位置する複合施設・地域。
レストランやショップの集まるシーフォートスクエアを中心にいろいろな施設が集まっている。
舞台と客席との距離が最大でも約20mという臨場感溢れる劇場である天王洲銀河劇場も天王洲アイルにある。
なお天王洲アイルのアイルは英語で島という意味の"isle"である。天王洲アイルの夜景は非常に美しい。

わたしはJALビルないにあるam・pm
で弁当買い
天王洲アイルの公園で楽しく昼食します。
若い女性の方も多く見かけます。

京浜運河緑道公園

 延長約2.5kmの緑道公園。大井競馬場駅から天王洲アイルまでモノレールの対岸を散歩できます。

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産業道路「呑川

この付近呑川緑地公園が有ります時間のある方お寄りください。

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穴守稲荷神社

御由緒 文化元年頃、鈴木新田(現在の羽田空港内)開墾の際、堤防が激浪の為にしばしば大穴を明け、
被害を受けていました。そこで稲荷大神を祀ると以後被害はなくなったと伝えられています。

穴守稲荷神社に行くには京浜急行の品川から
快速特急で蒲田迄行き京急羽田線の乗換て
穴守稲荷駅で降ります。

アーチ回廊を抜けて左に曲がりますとコンビニが見えます。
其処を右曲がり住宅地の道を5分程歩きますと到着します

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大鳥居「穴守稲荷神社〜旧羽田穴守町の参道」

羽田・大鳥居

東京都大田区羽田空港1-1

羽田空港が昭和6年(1931)8月に日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」として開港した当時、
空港の周囲には羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町があり穴守稲荷神社もこの地にあった。
ところが敗戦により空港は米軍に接収され、進駐軍は軍用飛行場建設を理由にこの地に住む1200世帯・3000人を強制退去させたため
町の名前もなくなってしまった。48時間以内に移転せよと言う強硬な命令だったという。

穴守稲荷は海老取川対岸の現在地に移ったが、なぜか大鳥居だけが残され、
米軍からの返還後も空港ターミナル前の駐車場で空の平和を見守ってきた。
移動や撤去の話は何度も出たが、祟りを恐れて誰も手を下そうとしなかったという噂がある。

その鳥居が空港の拡張のためついにその地を動かなければならなくなった時は大きな話題になった。

元住民を中心とする多くの人々の運動の結果保存が決まり、昭和4年(1929)の建立から70年後の平成11年2月(1999)、
多くの人に見守られて800m離れた現在地に移されたという説明書きを読み、ここまでの経緯を思ってため息をつく。
「平和」と書かれた額を見上げると、青い空に鳩ならぬカモメがたゆたうように浮いていた。


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羽田空港2丁目「空港敷地内」

この日は誰にも出会いませんでした

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東京国際空港

整備工場付近と思います。〜〜開港3年前の様子でした。

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多摩川・大師橋付近

大師橋は、東京都大田区と川崎市を結ぶ主要地方道東京大師横浜線(産業道路)が多摩川を渡る橋です。

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丸子橋「ここより丸子川

丸子川の水源は、世田谷区大蔵3丁目2番(大蔵三丁目公園内)の湧水を起点とした水路(暗渠)に、
岡本3丁目25番付近(東名高速の脇)の湧水を、岡本3丁目41番付近(仙川新打越橋左岸近く)で合流して形成されている。
西谷戸橋近辺で開渠となり、水神橋手前で仙川左岸から離れ、以後丸子川と表示されるため、
丸子川は仙川から取水していると誤解する人がいるが、丸子川が直接仙川と繋がっている事実は無いと聞いている。

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等々力渓谷

等々力渓谷は、東京の23区内という都心にありながら
まるで別世界のような、静かさと緑にあふれています。
あなたも、川のせせらぎの音を聞きに行きませんか?

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世田谷野毛・善養寺

世田谷区を流れる丸子川沿い、等々力と野毛の間の住宅街に突如として現れるのがこの真言宗智山派の影光山善養寺(善養密寺)です。
遠目からでもその個性的な佇まいが目に入ってきて思わず足を止めてしまいます。

ここ善養寺は怪しい動物たちでいっぱいだ。

大きな狛犬(?)に迎えられて門をくぐると、都天然記念物のカヤの木が青い実の付いた枝を柳のように垂らしている。
本堂の前には下を向いてシャイな獅子、水瓶の陰には何かの子供、枯山水に架かる橋は龍、
おにぎりを持った蟹や恐ろしい亀に混じって、作風の違うかわいい子象もいる。

面白いけれど、ちょっとくらくらするような寺だ。

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岡本静嘉堂緑地

岡本静嘉堂緑地は、旧三菱財閥の岩崎家が所有する庭園だったが、
戦後手入れする人もなく放置されたために図らずも貴重な自然が残される結果となった。
その一角にある静嘉堂文庫は、和漢の典籍20万冊と国宝級の優品を含む古美術品約5,000点を収蔵しているが、
公開はされておらず一部を付属の静嘉堂文庫美術館で見ることができる。

三菱財閥の四代目で最後の当主となった岩崎小彌太氏が作らせた英国風の建築は一見の価値あり。

庭園にある岩崎家玉川廟(納骨堂)は、明治の洋館建築に大きな足跡を残したジョサイア・コンドルの設計になる(明治43年(1910))。
沖縄のシーサーのような狛犬(?)が、小彌太氏の父彌之助氏(三菱の二代目当主)を守っている。

ここから北へ行くと砧公園、南に下って六郷用水沿いに西へ回ると岡本公園民家園だ。


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岡本公園民家園

丸子川を望む国分寺崖線の、みどりに覆われた崖を背に、茅葺きの民家と白壁の土蔵が立っています。
瀬田に残されていた江戸時代中期に建てられたという古民家を移築復元したものです。
茶の間の囲炉裏には、いつも火が入っていて、訪れる人はお茶を飲むことができます。


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六郷用水跡

六郷用水とは東京都狛江市の多摩川を水源とし、世田谷区、大田区を通る、
慶長2年(1597)から十数年かけて開鑿された灌漑用水のことです。


現在は宅地化により用水路は殆ど埋め立てられるか下水道になってしまいましたが、
東京都大田区中原街道の丸子橋のたもとから東急多摩川線沼部駅付近や新幹線、
横須賀線のガードを越えた鵜の木方面まで用水を復元した遊歩道があります。


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次大夫堀公園「民家園」

昭和63年に開園し、江戸時代後期の農村を再現した「次太夫堀公園・民家園」は、
喜多見の郷土史家田中氏を始め喜多見の町民の協力があって、世田谷区によって開設され、多くの訪問者を迎えている。

 公園の名称となっている「次太夫堀」とは、稲毛・川崎領(神奈川県川崎市)の代官であった
小泉次太夫の指揮によって慶長二年(1597)から十五年の歳月をかけて開発された農業用水のことである。

 


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