心が潤う保田見(ぼてみ)水仙ロード
心が潤う保田見(ぼてみ)水仙ロード | GoogIe MAPs |
2007-01-01~02
2007-01-01
▲ 天然記念物竹岡のヒカリ発生地 (たけおかのひかりもはっしょうち)
昭和3年に国指定天然記念物に指定されたヒカリモは、単細胞の鞭毛藻類の藻で
、それ自体が光るのではなく細胞内の椀状の色素体が洞穴内に入ってきた 光を反射させるために光っているように見えるもの。 高さ3m、幅3m、奥行き5mの海食洞穴の小さな池に浮遊し 、毎年3月上旬〜5月上旬にかけて繁殖して、水面を黄金色に輝かせる。 日本全国で発生するが、毎年同じ場所で発生するのは珍しい。 地元ではこの洞窟を金色井戸と呼んで弁天様をまつってる。 洞窟の入り口には車を3〜4台おけるスペースがある。 |
▲ 高塚~ 釜台~の中間点 |
▲ 釜台の山中を力走・・・・???? |
▲ 保田見の水仙 鋸南町は水仙の日本3大群生地の一つで、「日本一の水仙の里」として知られています. なかでも有名な水仙ロードは、江月地区の町道の両側約3kmの道の両側に水仙が咲き乱れます。 暖かい春の陽の光の下で風が弱い日はには、可憐な花とほのかな香りを漂わせます。 片道30分~40分程かかるコースで御堂から山頂まで至ると気分も爽やかに心地よくなります。 |
▲ 保田見の水仙を力走 |
▲ 佐久間ダム・橋の手前 |
▲ 赤伏 |
▲ 二間島付近の海岸(松原) |
▲ 鋸山の、 かじや旅館・・・で新年会 鋸山は江戸時代、“石山” として非常に繁栄しており、 金谷の住民の70%が石の仕事に従事していたほどでした。 そんな中、石職人の使う道具を製造・修理していたのが、 現在の “かぢや旅館” です。 当時は、石船が金谷から江戸・横浜方面に行き来しており、 その利用者より金谷に宿泊施設が必要とされ、 1854年(安政元年)旅館業に転業いたとのことです 最高に良い旅館ですよ。。 この かじや旅館を見つけるには苦労しましたお正月の房総は、 旅館・民宿等の宿泊所が家族で営業している或いは色々な理由で休みの為 たまたまガソリンスタンドのトーナーらしき方に事情を話したところ、 このかじや旅館を紹介されました。 この様な出会いも旅の旅の楽しみですね。・・・幹事杉山で~~す |
2007-01-02
▲ 嶺岡牛乳研究所 ![]() 戦国時代、安房の国は里見氏が治めていました。 この頃、里見氏は軍馬を育てる目的で嶺岡(みねおか) に牧場を作りました。 1614年、江戸幕府は里見氏の領地を没収し、 嶺岡は幕府が直接管理する牧場となりました。 当時は、広さ1760ha、周囲68km、馬の放牧を行っていたそうです。 |
▲ 嶺岡浅間1付近2 麓に昭和院と白滝教会、中間の山中に天狗の石面の祀られた祠。 頂上には浅間神社と御嶽神社とがある信仰の山。 しかし嶺岡中央林道が山頂を走っているので、こちらから行けば、 ほんの僅かな散歩になってしまいます |
仁右衛門島行きの手漕ぎ船の船中で楽しそうなメンバー この船頭さんは現役は普通のサラリーマンでしたが、 定年退職後、ここの船頭さんになったとのことですた。 |
▲ 仁右衛門島上陸 仁右衛門さんが住み続けてきた島 仁右衛門島は千葉県鴨川市の太海浜から200mほど沖合いにあり、 標高が26m、面積はおよそ3万㎡の千葉県最大の離島です。(注1) 千葉県指定名勝、そして新日本百景に数えられた自然美を誇ります。 (注1)…千葉県には伊貝島・浮島・沖ノ島・弁天島など大小含め100近い島々が存在します。 中でも沖ノ島(館山市)の面積は約5万㎡あり、仁右衛門島より大きいのですが、かの島は 砂州で本土と繋がった陸繋島なので、仁右衛門島を「千葉県最大の離島」と表現しました。 ちなみに“仁右衛門”とは、島主である“平野仁右衛門”さんのこと。 治承4年(1180年)『石橋山の戦い』で敗れ、安房へ逃げた源頼朝が 身を潜めたのがこの島で、のちに褒美として住人だった平野仁右衛門に 島の居住権と付近の漁業権を与えたと伝わります。(注2)以降、島主は 代々『平野仁右衛門』を名乗って、これを世襲してきたのだそうです。 現在の仁右衛門さんは38代目。今も島でご家族と暮らしています。 仁右衛門島のホームページ |
▲ 山中の坂本の水仙をバックにパチリ |
楽しい2日間でした。 企画した神金の森田社長、有難う御座いました。 |